文法信仰の時代は終わりつつある

池田 和弘氏は文法に関してニッケイオンライン次のように言っています。

ちなみに、私は予備校で10年間ほど教えていましたが、5文型を教えたことは一度もありません。ついでに話しますと、5文型を教えなかったが故にアンケート結果が散々だったことが一度だけありました。ところが、そのクラスは、私学のトップレベルの高校生たちのクラスで、妙に納得したものです。

変換練習は最低限に
つぎに、もうこれはどうにもならないと思うのが、「態の変換」です。ここで大切なのは、いわゆる、「能動態」と「受動態」と言われる文章は、全く異なる情報を伝えるための全く異なる文章だという点です。その異なる英文を無理やり関連付けて、変換練習まで行うというのはもう異常としか言えません。その証拠に、最近のもっとも進んだ問題集では、このような変換練習はさせません。「学校のテスト対策用」として、ほんのわずか載っているだけです。

さて、このような文法の例はまだまだありますが、もう一つだけ、私がこれだけはやめて欲しいと願っているものを挙げると、それは「話法の変換」です。これも、いわゆる「直接話法」と「間接話法」と呼ばれる2種類の英文を関連付けて変換練習をさせるわけですが、態の変換と同様、そもそもが「違う英文」なのですから、初めに少し説明するぐらいならともかく、色々な例についてしつこく変換練習をさせるというのはお勧めできません。

このコラムの読者の中にも英文法を一からやり直そうとしている人がおられると思いますが、以上のような視点もあるということを理解していただけると何かの役に立つかも知れません。

面白いことに、私のかつての同僚に私と同じような考え方をする人がいて、彼は「不定詞」を「to+動詞」と説明していました。私自身は、シンプルに「to形」(実際にそうですから)と呼んでいましたが、世間の常識とのギャップがあまりも激しいので、今では「to+動詞」(不定詞)と説明するようにしています。

この「世間とのギャップ」というのが曲者で、せっかく学習者に分かりやすい解説を行おうとしても、世の中のテスト類や問題集、参考書の類がなかなか変わりませんので、まるで激流を遡りしているような感覚になることが良くあります。

いずれにせよ、世の中は、確実に「文法最小化」の方向へと流れています。5文型の分析や奇怪な変換練習が無くなることもそう先の話ではないでしょう。

最後に、やはりAI(人工知能)について話しておかなければなりません。AIも実は20世紀の末ぐらいまでは、「ルール万能」に基づくものでした。それが、ニューラルネットワークという、人間の脳と同じような方法で情報を処理するAIが登場したのです。ご存知の方も多いと思いますが、このAIはルール、つまりプログラムを教えなくても、多数の情報から自力でパターンを抽出する能力があります。

これを言葉に当てはめると、文法(ルール)を学ばなくても言葉を操れるようになるということで、実際にそれが証明されつつあります。昨今の英語教育の流れと照らし合わせると、ここには不思議な一致性を感じます。いずれにせよ、英語はなるべく「形」(音と文字)と「意味」との関係に注目するようにすると、学びの敷居が低くなります。ぜひ、ご参考になさって下さい。

文法を否定するだけでは何の参考にもなりません。それではどうなるのでしょうか。

その文法を否定する言語の捉え方が事例基盤です。言語は多くの事例が集積された事例の集まりです。その事例を覚える必用があり、その効果的な覚え方がネイティブを真似るディープラーニングです。多くの事例を学ぶとパターンを学習して転移学習が起こります。これが累積効果と呼ばれるものです。

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